全国に400社ある香取神社のご利益と
江東区亀戸で行われる勝矢祭の見どころを紹介します。
勝矢祭の由来と見どころ・日程
日程
2014年5月5日(祝日)
13:00~ 武者行列(パレード) 亀出神社から香取神社へ
15:00~ 勝矢祭(奉納の儀式)
香取神社の住所:江東区亀戸3-57-22
アクセス:JR総武線・東武亀戸線「亀戸駅」北口徒歩10分
亀出神社から香取神社まで約2キロの
武者行列が歩きます。
鼓笛隊やバトンガールも一緒に参加するので
地元で親しまれているパレードのような感じですね^^
人出は10万人にもなりますよ。
由来
勝矢祭は、天慶の乱(940年)が起こり
それをを平定した俵藤太秀郷が
その奉賽として弓矢を奉納したことから始まります。
その弓矢は「勝矢」と命名したされたことが
由来のお祭りです。
藤原秀郷(俵藤太秀郷)のムカデ退治
俵藤太秀郷(俵藤太)は
平安時代中期の貴族・武将です。
この人は
昔話・大ムカデ退治で知られています。
その昔話のあらすじです。
近江の国、瀬田の唐橋。
古くから交通の要として用いられた橋です・・・
「困ったのう…」
「わしは明日までに京都に着きたいんじゃが…」
「どうすりゃええんじゃ…」
旅人たちは瀬田橋を前に何日も足止めされていました。
瀬田橋の真ん中に、
60メートルもあろうかと見える大蛇が横たわっていたのです。
危なくて、脇を通り抜けることなどできません。
頭をかかえる旅人たち。そこへ、
「どけどけ」一人の武士が歩いてきました。
周囲が驚く中、武士は
大蛇の上に踏みあがり、武士は大蛇を踏み越え、、
秀郷は高笑いしながら、
ゆうゆうと橋を渡っていきました。
その夜、秀郷が宿で泊まっていると、
トントン
「ん?なんじゃこんな夜更けに」
戸を開けるときれいな娘さんが立っています。
「そのほう、何か用であるか」
「秀郷さま、私は、昼間の大蛇です。」
「その正体は、琵琶湖の底にすむ竜神一族の娘です。」
「秀郷さま、あなたのような勇敢なお方を待っておりました。」
「お願いです。どうか、三上山の大ムカデを退治してください」
次の日、秀郷は得意の弓をたずさえて三上山へ向かいます。
その時、急に空が曇り、大地がゆれはじめます。
「来たかっ!」
秀郷は一の矢をかまえ、きりきりきりと引き絞り、
放ちましたがはじき返されました。
Yabusame in Asakusa, Tokyo / Takashi(aes256)
「簡単にはいかぬか。では!」
続いて、二の矢、三の矢、と連射します。
しかしいずれも、はじき返されているうちに、
大ムカデもいい加減本気を出してきたのか
秀郷のほうに頭からつっこんできます。
その長いしっぽで、秀郷をぐるぐる巻きにしてしまいます。
もがき苦しむ秀郷。
目の前には、大ムカデの真っ赤な、巨大な、二つの目が迫り、
秀郷は手足の動きを封じられ、得意の弓も持てず・・・
「負けられぬ!!」
秀郷は勢いのままにムカデの眉間に強烈な頭突きを一発。
「ギャウウウウウ」
続いて二発。
「ギャヒャアアアア」
のけぞる大ムカデ。
大ムカデの締め付けが弱まり、
秀郷は地面に振り落とされます。
秀郷は、弓矢を取り出し、祈ります。
「南無八幡大菩薩。この矢にかけます。当たらせてくだされ」
飛んでいった矢が、大ムカデの眉間に、
思いっきり突き刺さり、
大ムカデは後に、前に大きくよろめいてから、
盛大に倒れました。
「秀郷さま、よく退治してくれました。」
「ありがとうございます。これはお礼のしるしです」
龍神の娘はお礼のしるしに秀郷に米が尽きない米俵や釣鐘など
沢山のお礼を贈りました。
この釣鐘は後に大津の三井寺に奉納され、
現在でも三井の晩鐘として美しい音を鳴り響かせています。
そして
竜神の娘からもらった米が尽きない米俵にちなんで、
秀郷は俵藤太秀郷と呼ばれるようになりました。
江東区亀戸の香取神社のご利益
源頼朝、徳川家康などの武将
また剣豪塚原卜伝・千葉周作など
多くの武道家達の篤い崇敬を受けていました。
このような由来から、亀戸 香取神社は
スポーツ振興の神として、
スポーツ大会・試合の勝利を願う人が多いです。
ちなみに
総本社である千葉県香取市の香取神宮での
ご利益は
家内安全、
海上守護、
心願成就、
縁結、
安産の神として深く信仰されています。
さらに、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。
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